昭和53年10月07日 朝の御理解 光昭先生
御理解 第17節
「神の綱が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。
今日親先生の留守を守らして頂く、私を始め修行生の皆さん家族の者が、どの様な思いでどの様な形で守らして頂くかと言う事を、いろいろと考えさせられる訳ですけども、結局日頃行うて居る事をそのまま実行すれば、あのう良いんですけれども、なかなかあのう本当の信心の稽古をしていないというところから、不安と言うかそう言うものがこう心の中に起こるんですけれども、これ昨日の親先生、ご信者さん達がされる時に、この御理解坐らして頂いて感じさして頂いた事は。
本当にあの親先生のこの机の御結界の回りには、本当に徳の、お徳を何と言いますかねお徳を感じると言いますか、ひとつひとつのここのものを見せて頂いても、不思議に例えばこの亀があるこれが何処から集まって来たんだろうと思うと、何かこのうあのう机の上に集まっておるものだけでも、親先生のお徳でこう集まっておると言うのをこう感じさせて頂いた時に。
そういうお徳のない私が坐らして頂いた時、これを本当に生かせるのだろうかと言う、まぁものすごく重いものを感じる訳ですけども。今日のこの御理解17節を開かして頂いて、神は絶対なものだというのを感じる訳です。神様は絶対にあのう切られない、神様からもうそれこそ、綱を切ろうとはされないんだから、もう本当にこちらが、あのう絶対に切るまいと言う姿勢を、出せば先ずこの御理解17節のおかげは、頂けるなっというものを感じる訳です。
今日その一日を務めさせて頂く心得と言うますか、心掛けの一つとして今日この御理解を開かして頂いて、あのう本当に形だけでもいいからその事だけこの事を務めさせて頂く。親先生のおられない間を形だけでもいいからという思いで、させて頂くところにその姿勢がまぁ氏子から切らぬ姿勢と言いますか、覚えをさして頂く訳ですけども、あのう神様との約束事という約束を本当にこうあのうさして頂いたら。
その約束を本当に守りますと言う姿勢を、この御理解の中にあのう感じさせて頂く訳です。親先生のおられない時にこういつも思わせて頂く事なんですけども、とにかく何といいますか不安というものがこう出るんですけども。いよいよ本当な意味での修業させて頂いてこの大事な留守。そして私のとっては大事なチャンスでもあると思いますけども、チャンスを本当に大事にさせて頂きたいと、思わせて頂きます。
有り難うございます。